1926年~2026年:100年の時を超えて交差する「美しき狂気」と魂の結晶。
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100年の孤独、100年の熟成。私たちが生きる2026年という現在は、奇しくも1つの大きな円環が閉じる年でもあります。私たちのショップ、アンティーク・リカー1926がその名に冠した1926という数字。それは単なる年号ではなく、東洋と西洋の「美しき狂気」が静かに、しかし決定的に交差した奇跡的な点でした。今からちょうど100年前、世界は2つの伝説の幕開けを目撃していました。

西の地、スコットランドのスペイサイドでは、後に「ウィスキーの聖杯」と呼ばれることになる伝説が、静かにその最初1滴を樽の中に落としていました。マッカラン1926。シェリー樽の263番。この年に蒸留された液体は、そこから60年に及ぶ長い眠りにつき、1986年にわずか40本だけがボトリングされることになります。1本数億円という価格で落札され、ウィスキー史上最高額の記録を更新し続けるこのボトルの物語は、まさに1926年から始まりました。興味深いことに、その極めて希少な40本のうち、1本はかつて東京のBARネモ(NEMO)で実際に開栓され、愛好家たちの舌を楽しませていました。(上記の画像は、実際に私がBARネモで撮ったものです)この事実は、1926年という年が持つ「最上への執念」が、海を越えて当時の日本にも響き合っていたことを示唆しています。

そして同じ1926年12月25日。東の島国、わが国日本では「昭和」という新しい時代が産声を上げました。それは単なる元号の交代ではありませんでした。明治、大正という激動の近代化を経て、日本人が伝統的な美意識と西洋の合理性を初めて真に融合させ、自らの手で「新しい日本の美」を構築し始めた、熱狂の1世紀の始まりでもあったのです。当店が1980年代前後の作品を中心に紹介しているのは、この1926年から始まった昭和という物語が、最も美しく、そして最も狂気的に熟成された時期がそこにあると考えているからです。昭和の中期から後期にかけての日本陶芸界には、現代の合理主義やコストパフォーマンスという概念からは到底理解できない、採算を度外視した「狂気」が満ち溢れていました。

その象徴とも言えるのが、私たちが誇りを持って紹介している孤高の陶芸家、内田泰秀氏の存在です。内田氏は若き日にフランスの国立セーブル製陶所で修業し、そこで陶磁器を「科学」として制御する知性を身につけました。彼が晩年に辿り着いた「表裏貫通錦練上手」という技法は、まさにその科学的精密さと、日本の職人的執念が火花を散らして融合した結晶です。1客を完成させるために5ヶ月もの歳月を費やすというその制作スタイルは、現代の経済合理性からすれば破綻しています。しかし、昭和という時代は、1人の男がその一生をかけて「土の収縮率を分子レベルで計算し、パズルのように模様を構築する」という、非合理極まりない挑戦を許容し、支える熱量を持っていました。
この狂気を支えたのは、単に作家の意地だけではありません。当時の日本には、今では失われてしまった「素材の豊穣」がありました。昭和の作家たちは、開発の手が及ぶ前の古い地層から掘り出した粘土を、さらに10年、20年と寝かせて発酵させ、極限の造形に耐えうる粘りを与えていました。また、色彩においても、当時は現代のような厳しい化学物質規制がなく、鉛やカドミウム、天然の呉須といった、毒々しいほどに深く、宝石のように輝く発色をもたらす材料が贅沢に使われていました。環境保護や安全性が何よりも優先される現代において、これらの素材を使った昭和の色彩を再現することは、もはや物理的に不可能になります。

武雄古唐津の系譜を継ぐ江口勝美氏が和紙染によって表現したあの繊細な滲みや色彩も、当時の良質な天然素材と、重要無形文化財保持者としての誇り高い技術が揃っていたからこそ実現できた、1期1会の奇跡なのです。
2026年の今、私たちは効率化とデジタル化の果てに、何か大切なものを置き去りにしてきてしまったのではないかと感じることがあります。作家が亡くなり、窯の火が消え、工房が静まり返った瞬間、その作品に流れる時間は止まります。しかし同時に、その作品は永遠に失われない歴史へと昇華されます。私たちが厳選した陶磁器、ガラス、クリスタル、そして銀細工。これら全ての工芸品は、昭和という狂気が許された黄金時代を封じ込めたタイムカプセルです。アンティーク・リカー1926の使命は、この100年という時間の堆積の中に埋もれた本物を再び発掘し、その価値を発見し、そして世界へと発信し続けることです。ショップへのアクセス解析を見ると、近年は多言語圏からの流入が着実に増えており、世界中のコレクターがこの深い物語に気づき始めていることを確信しています。
しかし、私たちの提案は、単にそれらを個別に鑑賞することに留まりません。本当の贅沢とは、昭和という時代に魂を削って生産されたオールドボトル・ウィスキーを、全く同時期に狂気的な執念で生み出された芸術作品である器で楽しむという、文化の掛け合わせにあります。

例えば、1980年代にボトリングされた芳醇なシングルモルトを、人間国宝である北村眞一氏の最高傑作、蝋型鋳銀吹込硝子「銀樹」の盃に注ぐ場面を想像してください。北村氏が蝋型鋳銀という極めて手間のかかる技法で命を吹き込んだ銀の樹が、吹き込まれた硝子を抱きかかえるその造形。琥珀色の液体がその銀の枝葉に反射し、硝子の揺らぎを通して輝くとき、五感は単なる味覚を超え、1980年代という時代が持っていた熱量そのものに触れることになります。銀が酒の温度を素早く指先に伝え、硝子の肌がウィスキーの香りを引き立てる。それは酒を飲む行為を、器という立体芸術と融合させることで高みへと昇華させる、文化の再構築に他なりません。
2026年の今、その100年という長いトンネルを抜けて私たちの手元に届いたこれらの結晶を、単一の文脈で消費するのではなく、美酒と器を共鳴させることで当時の風景を呼び覚ます。陶磁器の土の温もり、クリスタルの鋭い輝き、銀の重厚な手触り。それぞれがウィスキーの持つ歴史と重なり合うとき、時代を超えた究極の文化体験が生まれます。
時が経てば経つほど、昭和の巨匠たちが遺した魂の結晶も、樽の中で沈黙を守り抜いた古酒も、その輝きと深みを増していきます。私たちはこれからも、現代の効率主義に抗いながら、過去から届いたこの美しい狂気の系譜を、次の100年へと語り継いでいくための最前線であり続けたいと願っています。