飛騨高山伝統工芸 六代渋草柳造 作 小糸坂伊羅保釉 馬上杯 高台杯 ショットグラス #266
飛騨高山伝統工芸 六代渋草柳造 作 小糸坂伊羅保釉 馬上杯 高台杯 ショットグラス #266
本作は、岐阜県飛騨高山において江戸時代後期から現代まで脈々と受け継がれてきた伝統工芸、渋草焼の正統な系譜を継ぐ名工、六代渋草柳造(本名:戸田満)の直作による小糸坂伊羅保釉高台杯です。手の中に心地よく収まる小ぶりなサイズ感であり、当店ではこれを日本の優れた伝統工芸を現代のライフスタイルで楽しむためのプレミアムなショットグラスとして提案いたします。歳月を経て豊かな琥珀色を帯び、奥深い芳醇な香りと濃密な味わいを持つ古酒や、こだわりのウイスキーを味わうための酒器として最高の価値を持つ一品です。美術品としての圧倒的な格調高さを備えたこの器で極上の酒を嗜む時間は、海外のコレクターや目の肥えたゲストをもてなす最高に贅沢な体験となります。
付属する専用の木箱(共箱)には、右側に流麗な墨書で小糸坂、左側に柳造の署名と落款が据えられており、箱の側面には渋草工房の緑色のオリジナルラベル、さらに作品を包む布(包布)には飛騨渋草の鮮明な印が捺されています。これらは本作品が六代渋草柳造の手によって制作された真正の作品であることを明確に証明しています。
渋草焼の歴史において、この作品が小糸坂という銘を持ち、この特異な技法で焼かれている意味は極めて深く、ドラマチックです。渋草焼の開窯は天保13年(1842年)ですが、その前史として、天保7年(1836年)に高山の豪商たちが瀬戸から高名な陶工である戸田柳造を招き、高山市西方の小糸坂の地に窯を築いて作陶を行った歴史(第2期小糸焼)があります。戸田柳造は当初この小糸坂の地で地元の土による磁器製造に挑みましたが、当時の環境や技術的困難からわずか5年ほどで一度廃業を余儀なくされました。しかし、その後飛騨代官に再び呼び戻された柳造は、地元の山中から良質な陶石を発見することに成功し、ついに磁器の製造を成し遂げました。これが現在の渋草焼の始まりです。
一般的に渋草焼といえば、その滑らかな白い磁器肌に華麗な絵付けを施した磁器作品が広く知られていますが、本作の意匠と技法はそれらとは一線を画す特別な意味を持っています。この器にはあえて磁器ではなく、粗い土の風合いを活かした陶器の素地が用いられ、そこへ少しざらっとした質感を持つ黄褐色の釉薬が掛けられています。これは小糸焼の伝統的な基本釉薬である伊羅保釉の技法そのものです。さらに、釉薬の上から大胆に施された黒褐色の鉄流しの景色は、窯の中で炎と化学反応を起こした瞬間の力強い躍動感を器の中に焼き付けています。
つまり、六代渋草柳造がこの高台杯にあえて小糸坂という銘を与え、小糸焼の代名詞である伊羅保釉の技法を用いて制作したということは、創業者である戸田柳造が磁器を成功させる以前に命を懸けて作陶に挑んだ苦難と挑戦の原点である小糸坂時代への最大限のオマージュ(歴史的敬意)を表現した作品であることを物語っています。渋草焼の確かな技術力を用いながら、もう一つの飛騨高山の名工である小糸焼のルーツの美を器の中に完全に再現し、融合させた極めて珍しく、ストーリー性に満ちた逸品です。共箱や包布とともに無傷の完品として大切に保管されてきた本作品は、海外のコレクターにとっても日本の工芸史の深奥を感じられるミュージアム級の価値を持つ特別な酒器となります。
- 作者: 六代 渋草柳造(本名:戸田 満、1923-2012)
- 作者の代表的な活動歴:[1841年] 渋草の地に開窯(祖基)、[1981年] 六代渋草柳造を襲名、長年にわたり飛騨高山の伝統工芸の近代化と独自の陶芸表現を牽引
- 作品収蔵実績:飛騨高山美術館、高山市関連公的機関、など
- 製作年代: 1980年代~2000年代(推定)
- 商品状態: 良い(欠けなし、割れなし、箱に汚れあり)
- 付属品: 専用共箱、包布 あり
- 材質: 陶器(伊羅保釉・鉄流し)
- 寸法: 高さ 約 6.8 cm、口径 約 4.4 cm
- 注意: 当店が提供する商品は新品未使用であっても生産時期が大変古いものであり、すべて中古品として掲載しています。商品には経年によるダメージがある場合がありますので、ご理解及びご確認の上で購入をご検討ください。
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