帝室技芸員 眞葛窯 初代 宮川香山 遺作 雲鶴青磁酒盃 小花文 眞葛窯印 二代 宮川香山 識箱 和のショットグラス #467
帝室技芸員 眞葛窯 初代 宮川香山 遺作 雲鶴青磁酒盃 小花文 眞葛窯印 二代 宮川香山 識箱 和のショットグラス #467
本作は、明治から大正にかけて横浜で眞葛焼を築いた陶芸家、初代宮川香山氏の遺作と推定される雲鶴青磁の酒盃です。高台内には眞葛窯の窯印が押されています。付属の箱には、初代の跡を継いだ二代宮川香山氏による「香山遺作」の書付があります。高さ約3.0cm、口径約6.1cmの小ぶりな盃で、古酒をひと口ずつ味わう和のショットグラスとしてご提案いたします。
初代宮川香山氏は1842年、京都・真葛ヶ原の陶工の家に生まれ、1860年に家督を継ぎました。1870年に横浜へ移り、翌年には横浜太田村に眞葛窯を開いています。陶器の表面に写実的な彫刻を盛り上げる「高浮彫」という技法で、1876年のフィラデルフィア万国博覧会をはじめ国内外の博覧会で高い評価を受けました。その作品は海外で「マクズ・ウエア」と呼ばれました。
明治10年代半ばからは、釉薬と釉下彩の研究に取り組みました。中国の古陶磁にならった技法を取り入れ、制作の主力を陶器から磁器へと移していきます。1889年のパリ万国博覧会と1893年のシカゴ万国博覧会で金牌を受け、1896年には陶芸分野で二人目となる帝室技芸員に任命されました。晩年まで青磁の制作を続け、1912年作の青磁花瓶は初代本人の寄贈により東京国立博物館に収蔵されています。
雲鶴とは、高麗時代末期から朝鮮王朝初期の象嵌青磁を、日本の茶の湯の世界で呼んだ名称です。青磁の地に白と黒の二色で雲や鶴などの文様を表すのが特徴で、日本に伝わった高麗茶碗の中でも、高麗時代にさかのぼる数少ない種類として珍重されてきました。
本作の外側は、段状の削りによって上下二段に分かれています。上段には、黄色の花芯を細かな白い花弁が囲む小花と、濃紺から黒の葉を組み合わせた文様が、一定の間隔で配されています。下段には、雲を思わせる白い渦巻き状の線文がめぐり、その間に翼を広げたような白い意匠が見られます。箱書の作品名「雲鶴青磁」と合わせて、雲と鶴を表したものと考えられます。白と黒の文様を青磁釉の下に表す構成は、雲鶴手の特徴をよく伝えています。見込の中央には白い圏線がめぐり、その内側に白で文字状の意匠が表されています。器の内外には、青磁釉特有の細かな貫入が見られます。高台の畳付は無釉で赤褐色の土肌が見え、高台内は光沢のある褐色の釉面に覆われています。その中央には、楕円の枠の中に「眞葛」の二字を浮き出させた陽刻の窯印が押されています。
本作を初代宮川香山氏の作と推定する根拠は、次の二点です。
一点目は、付属する識箱です。蓋表には「酒盃」と題され、蓋裏には作品名「雲鶴青磁」「盃」、「香山遺作」の文字、「二代 眞葛香山」の署名と朱印があります。二代宮川香山氏(本名・半之助、1859-1940)は、宮川長平の子として生まれ、叔父である初代の養子となった人物です。初代のもとで長く家業に従事し、襲名前は「宮川半山」の銘でも制作していました。1916年の初代の没後、1917年に香山の名を継いでいます。初代の窯で働き、その仕事を間近で見てきた後継者が、自らの作ではなく先代の遺作と明記した点は、作者を示す最も直接的な資料です。眞葛窯では、初代が手がけた作品が初代の没後に二代・三代によって遺作として世に出された例があることが知られており、本作の箱書はこの経緯とよく合致します。
二点目は、作品本体の窯印です。高台内の「眞葛」印により、本作が眞葛窯の製品であることが作品本体からも確認できます。また、青磁は初代宮川香山氏が釉薬研究に移った後半期から晩年まで手がけた作域であり、作風の面でも初代の制作と矛盾しません。
一方で、初代作と確定するには至らない点もあります。まず、作品本体の窯印は窯の名を示すもので、作者個人を示す銘ではありません。楕円形の「眞葛」印は二代宮川香山氏の時代の作品にも用いられたことが公的機関の所蔵品記録で確認されており、初代と二代の印を区別する基準を示した公的資料は見当たりません。次に、青磁や古陶磁写しは二代宮川香山氏も得意とした分野です。二代は大正期以降、中国陶磁や仁清・乾山などの東洋陶磁の伝統様式をもとにした作風を展開し、高麗青磁写しの作品も残しています。このため、作風のみで初代と二代を判別することはできません。さらに、眞葛窯は轆轤や細工、絵付けの各工程に熟練の職人が従事する工房でもあり、本作における初代自身の関与の度合いを作品から特定することはできません。確証を得るには、初代作と確認されている作品の印影との詳細な照合など、さらなる検証が必要です。当店では、これらの点を踏まえたうえで、後継者自身による「遺作」の箱書と眞葛窯の窯印という二つの裏付けから、本作を初代宮川香山氏の作と推定しています。
初代と二代の違いは、作風と公的評価の両面に表れています。初代は高浮彫で世界的な名声を得たのち、釉下彩や結晶釉、清朝磁器にならった釉薬へと作風を大きく変えていきました。万国博覧会での数多くの受賞と帝室技芸員の任命を経て、作品のうち「黄釉銹絵梅樹図大瓶」と「褐釉蟹貼付台付鉢」の2点は国の重要文化財に指定されています(いずれも東京国立博物館所蔵)。二代は初代の作風を受け継ぎながら、茶の湯の道具や東洋陶磁の伝統に根ざした精巧な作品を手がけました。1931年の第12回帝展への出品や、1927年の板谷波山氏らとの東陶会結成にも関わっています。
制作年代は、初代作との推定に基づき、初代宮川香山氏が釉薬研究に軸足を移した明治10年代半ばから、亡くなった1916年5月までの間と考えられます。公的機関に収蔵されている初代の青磁作品には、1912年から1916年の制作とされるものが複数あります。なお、識箱は二代宮川香山氏の署名によるものであるため、1917年の襲名以降に書かれたものです。
-
作者: 初代 宮川香山(みやがわ こうざん、1842-1916)※二代宮川香山識箱による推定
-
作者の代表的な活動歴: [1842年] 京都・真葛ヶ原の陶工の家に生まれる、[1860年] 家督を継ぐ、[1870年] 横浜へ移住、[1871年] 横浜太田村に眞葛窯を開窯、[1876年] フィラデルフィア万国博覧会に出品、[1889年] パリ万国博覧会 金牌、[1893年] シカゴ万国博覧会 金牌、[1896年] 帝室技芸員に任命、[1904年] セントルイス万国博覧会 最高賞、[1910年] 日英博覧会 名誉大賞、[1916年] 没
-
作品収蔵実績: 東京国立博物館(重要文化財2点を含む)、国立工芸館、横浜美術館、石川県立美術館、ネルソン・アトキンス美術館(米国)
-
制作年代: 明治10年代半ば~1916年(大正5年)5月、初代宮川香山存命中(推定)
-
商品状態: 非常に良い(欠けなし、割れなし)
-
付属品: 二代 宮川香山識箱 あり
-
材質: 陶磁器(青磁釉、白・黒二彩)、高台内に「眞葛」楕円陽刻印
-
寸法: 高さ 約3.0 cm、口径 約6.1 cm
- 注意: 当店が提供する商品は新品未使用であっても生産時期が大変古いものであり、すべて中古品として掲載しています。商品には経年によるダメージがある場合がありますので、ご理解及びご確認の上で購入をご検討ください。
受取状況を読み込めませんでした
低在庫:残り1個
詳細を表示する
